私にとって、本質的で「答えることのできない問い」は 「生きる目的は何か」である。 「目的」という言葉について、真剣に考えざるを得なくなったのは、会社勤めをしていた時である。ある企画を上層部にプレゼンした際最初に議論になるのは、その目的だからである。その目的が、会社の上位の目的に整合しているかが問われ、その目的を達成するためには何が必要かが次に審議される。この経験から、広く人生においても目的を持たないものには意味がないと考えていた。 しかし、この目的至上主義を揺るがせたのは高齢になった母親である。母は60歳になってから急変した。昨日まで家事をてきぱきこなしていたのに、何もできなくなっ
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